毒育ち

毒親育ち、AC、HSPの生きづらさを吐き出すだけのブログ

毒、鍵をかけたことにキレる

昨日はバレンタインだった。
毎年、毒父のために買っていたのも今年は止め、気持ちが軽くなった。

 

自分用のチョコレートは5つ先の駅で
先輩の誕生日用に買ったついで、ブラウニーの一つだけ。
キラキラしたチョコレートの粒、箱や紙袋のデザインを見るのが
好きだったが今年はVD催事場巡りも止めた。

 

去年、コロナの影響で夏冬ボーナス無かったし
お金を大事にしないとなって思って。

 


毒父から昔からずっと「お金は貯めておけ」と言われ続けてた。

 

毒親の特徴として「自分(家庭)は貧乏だ。お金がない」と子供に言い

自分の家はお金がないと子供にインプットさせる」
「働くようになると金の無心をする」
「子供にお金をかけず、自分には金を使う」

 

実際は色んなパターンがあるだろうし、これが一概には言えないけど。

 

家の場合も、「ウチは貧乏だから」と言われてた。
食事は毎晩醤油で味付けの醤油色のもやし、

服も2着を一年中日替わりで着回し、
冷暖房をつけないから貧乏なんだな、大きくなったら親を助けなきゃとか

早く働くようにならないと、と思ってた。

普通の家庭でも同じ考えだと思ってた。

 

小遣いをあげないとか、小遣い没収は無かったが、
久しぶりに会う親戚から貰えるお小遣い(1000円札一枚とか)は
親経由だと「今回は貰えなかったよ」と親の懐に入ってたと思う。
それも普通の家庭でよくあることだと思う。


「子供に金をかけず、自分には金を使う」
姉には洋服代を出したり、成人式の着物を買うのを見てたから
私は新しい服が欲しくても言えなかったし我慢した。
貧乏だって分かっていたから。

 

高校は定時制に進学、昼間はバイト。授業料も自分で払い
もう私の小遣いとお年玉はいらないと言った。


私が高2か高3の頃、毒父はカラオケスナックにハマってた。

ストレス発散する趣味が持てたなら良かったと思ってた。

月に2回、週末だけと決めてたようだが、
そのうち週3 平日にも行くようになり、23時帰宅が0時を過ぎ
明け方ベロンベロンの状態で帰宅、そのまま昼まで寝る生活に変わった。

 

姉と私の手が掛からなくなり、自分の好きなことをしてるならと何も言わなかった。

 

すると、明け方帰宅が当たり前になり
カラオケスナックだと思ってたら、実はフィリピンパブで
飲まされて金を使わされて、泥酔で帰宅途中に転び顔面から地面に打ち

上唇を何針か縫う怪我をしたと保護した警察から連絡がきた。

あの時は毒親が全てだったから死ぬんじゃないかって泣いて心配したが
今思うとくだらない。商売と割り切ってるフィリピン人に気づかず
もてはやされ好き勝手やってきた結果、自業自得だ。


ある時、帰宅が明け方だと思い、一人なので家の鍵をかけた。
予想通り明け方に帰宅、鍵が掛かっていたことに毒父は腹を立てた。

連絡なく明け方帰宅だったからだと言っても
鍵をかけられたのが気に入らなくて
とにかく早く開けろとドアのチェーン越しに怒り続けてた。


酔っぱらいの発言ではなく、昔から鍵をかけない家だった。

 

小さい頃も、平日も家に一人でいた時は鍵を持たせてくれず
家から出ることが出来なかった。

外で遊ぶ場合、鍵が空いたまま家の前で一人でボール遊び。

その時は普通の家は鍵をかけないんだと思ってた。


小学生になり、昼間家に誰も居ない状態でも鍵はかけなかった。
私と姉に持たせるスペアキーを作るお金もなかったのかもしれない。


当然、泥棒に入られて
それからやっと鍵を持たせるようになった記憶。