毒育ち

毒親育ち、AC、HSPの生きづらさを吐き出すだけのブログ

アップデート出来なかった毒

Twitterで「毒親」の検索をすると、
自分以外のも毒親育ちが沢山いて苦しかった気持ちなど読むと
性的虐待をした毒父は「親」になれてなかった人で
私や姉を無自覚で「所有物」にしてたんだと思う。

 

今、その事を毒父に言ったところで
「そんなふうには思ってない」としか言えないと思う。

 


毒父の親も同じように過干渉で躾という暴力を振るい
私達にも同じ事をしてきたのではと考える。

昭和の初めとは時代は変わってきているのに
世の中にアンテナを張り、自分でアップデートしようとしなかった。

 

両親が離婚した時、
母親のほうについて行ったら
苗字も変わり、こんな苦しい人生歩んでなかったと思う。

父親の苗字なのも嫌だ。
今でも変えたい程大嫌いな苗字になった。

 

毒父も娘二人を引き取った時は、一生懸命だった記憶はある。

でも、中高生になり
姉の反抗期が始まってから
暴力や暴言、性的虐待をするようになりおかしくなった。

 

一生懸命だった時の恩は返せるが
それ以降は何かしてもらった記憶がないから返せない。

 

 

今も一人で歩いている時や
家の中でも常に毒父が頭から離れず
「絶対許さない」「アイツ本当に気持ち悪い」と呟き、ずっと怒りしかない。

あの頃の毒父が怒鳴り、暴言を吐いていた言葉と同じ台詞だ。
そんなところが一緒で本当に嫌になる。

 

あの時浴びせられた暴言暴力に、毎回「早く嫌な時間終われ」と願ってた。

 

毒父、義母が亡くなった数ヶ月後
いきなり電話をしてきて
泣きそうな声で「俺は絶対嘘は付かない」「何でも答える」と言い出した事があった。


義母の前では無関心な態度を演じていたくせに
突然目覚めて懺悔する気持ちになったんだろうか。


急に態度が変わったのが気持ち悪かったが、
身近な人が亡くなり気持ちの整理が出来てないんだろうと

「特にないよ」と言った気がする。


もしあの時、毒親がしてきたことを言ったら何か変わってたのかなぁ。