毒育ち

毒親育ち、AC、HSPの生きづらさを吐き出すだけのブログ

泣き顔を真似て笑われる

小学校に上がる前、姉によく泣かされた。兄弟喧嘩。
その日の姉の気分で理由なく殴られたりした。

 

たまたま毒父が家にいて、私の泣き声に気付いた。
姉を叱ると思っていたが、毒父は私の泣き顔を真似して
姉と二人で大爆笑していた。


それがすごく腹立たしくて悲しくて大泣きした。

その後も姉に泣かされると、毒父は私の泣き顔を真似することが何度かあった。
その度、姉と笑っていた。

 

「やめて、真似しないで」と泣いたがやめなかった。


それは今でも悔しくて忘れない。許さない。
今それを責めても「覚えていない」「あなたの妄想だよ」でとぼける気だろう。


あの頃は親が子供をからかう、どこの家でもある普通のことだと思ってた。
今の時代だと虐待になるのだろうか。


姉と私と毒父の3人暮らしだったから
日によって姉と一緒に冷たく接することがあった。


片親の男親だから愛情のかけかたが分からなかったんだろうか。
「親」になれない「親」だった。


育てされない、平等に愛情をかけられないなら
引き取らないで欲しかった。


毒父の所有物で奴隷でモノ扱いされ
こんな歳にもなって苦しめられるとは。


日に日に毒父のクズっぷりを思い出す。
逃げてばかりで底辺の人間。

 

姉の結婚式の話

Twitter毒親育ちのタグを検索すると
性的被害を受けて苦しんでいる女性が心の声をあげてる。

 

私のように実父から性的虐待を受けた人も沢山いる。

 

結婚し子供も授かった人も多く
理解のある男性と出逢えて羨ましい気持ちと良かったと思う。


私は父から性的虐待を受けた時に結婚も子供も諦めた。
自分は汚い体になってしまったから
誰も好きになってくれないだろうなって思った。

 

もし結婚しで子供が出来たとしても
絶対毒父に見せたくなかった。絶対触らせたくなかった。


性的虐待を受けてから男が大嫌いになった。
電車の乗るのも苦痛。
整列乗車先頭に並び、電車のドアが開いても乗れず
1時間動けなくて、後ろに並んでいる人に申し訳なくて泣いた。

 

 

姉は早々に毒父の元から逃げ、結婚し子供もいる。
姉は毒父も義母も私も嫌っていたから
結婚式も呼びたくなかったと思う。

 

私も行きたくなかった。
向こうのご家族に普通じゃない家族と知られるのが恥ずかしかった。


三日前か前日に「明日姉の結婚式だからね」と義母に言われ
突然のことに驚きながら、そこで初めて結婚することを知り
欠席の選択肢は無かった。着ていく服も無いのに。

「これ着たら?」と義母から渡されたのは
黄土色か茶色の上下セットの服。お祝いの席で着る服じゃない。


毒父の運転で会場に向かうが、道路が渋滞。
車の中で義母はずっと文句を言っていた。
「普通、親なら前日に式場のホテルに宿泊させるわよね!?」

 

その言い方だと突然言われ、慌てて準備してるように思えたが
姉も直前に毒父と義母に挙式することを言ったんだろうか。
呼びたくない理由は分かる。


会場に着いた頃には式は終わっていて

両家での写真撮影に入れてもらっただけ。
その後のパーティに参加したが、
相手の親族や友人が華やかでキラキラしてた。
毒父、義母、私は必死に着飾っている田舎者丸出しだった。


姉は旦那さんの兄弟と楽しそうに話してる様子が見えた。
遠くの席の毒父、義母、私には見向きもせず
会話しにくることもなかった。

 

それでも毒父は感動し、しょっちゅう席を立ち
トイレで泣いていたらしい。

 

正直良く普通の父親みたいに泣けるなと思った。
毎晩毒父の八つ当たりの相手にしたのは忘れたのか。

 

でも私も幸せそうな姉の姿を見て涙腺が緩み、涙が止まらなくなった。
羨ましい気持ちとひどい家庭環境だったけど幸せになって良かった気持ち。

毒父と義母に泣き顔を見られたくなくて
ずっと下を向き、惨め。早く終われ。帰りたいと思ってた。


姉の子供に生まれてから
毒父、義母は会いたがっていたが、姉は最初会わせてなかったと思う。

二人は早朝から出かけ帰宅すると姉の文句を言っていたのを聞いたことがある。
早朝から会わせろと、アポなしで突然行ったんじゃないかと思ってる。
早朝からアポなしなんて非常識。

 

でも毒親ルールでは、全くおかしいことでは無い。
「親」なんだから、会いたい時に行くのが普通。
合わせない、嫌がられる理由が分からないらしい。

 

 

アップデート出来なかった毒

Twitterで「毒親」の検索をすると、
自分以外のも毒親育ちが沢山いて苦しかった気持ちなど読むと
性的虐待をした毒父は「親」になれてなかった人で
私や姉を無自覚で「所有物」にしてたんだと思う。

 

今、その事を毒父に言ったところで
「そんなふうには思ってない」としか言えないと思う。

 


毒父の親も同じように過干渉で躾という暴力を振るい
私達にも同じ事をしてきたのではと考える。

昭和の初めとは時代は変わってきているのに
世の中にアンテナを張り、自分でアップデートしようとしなかった。

 

両親が離婚した時、
母親のほうについて行ったら
苗字も変わり、こんな苦しい人生歩んでなかったと思う。

父親の苗字なのも嫌だ。
今でも変えたい程大嫌いな苗字になった。

 

毒父も娘二人を引き取った時は、一生懸命だった記憶はある。

でも、中高生になり
姉の反抗期が始まってから
暴力や暴言、性的虐待をするようになりおかしくなった。

 

一生懸命だった時の恩は返せるが
それ以降は何かしてもらった記憶がないから返せない。

 

 

今も一人で歩いている時や
家の中でも常に毒父が頭から離れず
「絶対許さない」「アイツ本当に気持ち悪い」と呟き、ずっと怒りしかない。

あの頃の毒父が怒鳴り、暴言を吐いていた言葉と同じ台詞だ。
そんなところが一緒で本当に嫌になる。

 

あの時浴びせられた暴言暴力に、毎回「早く嫌な時間終われ」と願ってた。

 

毒父、義母が亡くなった数ヶ月後
いきなり電話をしてきて
泣きそうな声で「俺は絶対嘘は付かない」「何でも答える」と言い出した事があった。


義母の前では無関心な態度を演じていたくせに
突然目覚めて懺悔する気持ちになったんだろうか。


急に態度が変わったのが気持ち悪かったが、
身近な人が亡くなり気持ちの整理が出来てないんだろうと

「特にないよ」と言った気がする。


もしあの時、毒親がしてきたことを言ったら何か変わってたのかなぁ。

 

 

 

 

毒父の視線

文章にすると自分の気持ちが整理できる気がする。


性的虐待を受けた翌日から
この人は親じゃないと思うようになり、口を聞かなくなった。

 

だって親なら子供に欲情しないだろう。子供を性的な目で見ないだろう。

 

毒父に話しかけられた時、目を見たら
(その頃は話す時は相手の目を見るのは当たり前だと思ってた)
毒父は目を合わさず話していた。

 

視線が泳いでいて、何だ?って思っていたが
今考えると、普通なら性的虐待をした本人を直視できないよな。

 

でもその考えは間違っていた。


ある時、話しかけられ目を見ると
私の顔のやや下を見てる事に気づく。


私の胸を見ていた。
自意識過剰と思われても仕方ないが
瞬間、気持ち悪いと思い
胸の前で腕を振り、毒父の視線を外れるようにしたことが何度もあった。


色情狂ってこういう時に使うんだろうな。恥しかない。


その後、同居することになった義母が
毒父と私の普通の家族のような日常会話が全くない事に気づく。

 

最初は再婚したから
大好きなお父さんと取られ面白くなくて話さないと思ってたみたいで。

 

そんなこと一ミリも思わない。

 

毒父が私に性的虐待したことを義母は知るわけない。

 

私は高校卒業後、バイトの貯金で専門学校に入学するが
貯蓄が底をつき、一年で中退。

 

その後、高校の時のバイト先で就職させてもらった。
そこには寮があり、家から出られると思った。

家を出れば、義母が私に気兼ねすることも無くなるし
私も毒父から離れられるし、プラスしかないと考えた。


新宿から数駅の寮は、地方から上京した人が多く

友達が出来て楽しかった。夜に一つの部屋に集まって飲んだり
近所の酒屋で追加で酒やおつまみを買ってきたり。

色んな話をして普通の人っぽいことしてる感覚が嬉しかった。


その頃から毒親電話はあったと思う。
でも寮生活の楽しい気持ちのほうが大きくて、気にならなかった。

 

 

再び電話がかかってきた時のことを想像する

再び、毒父から電話がかかってきた時のことを考える。

 

いつから耐えて我慢してたっけと思い返すと30年以上…
よくそんな耐えて我慢してきた自分スゲェ!

 

元旦の電話で言ったことはほんの一部。
また電話がかかってきたら、もう我慢せずに全部ぶちまけてしまうそうだ。


【Q.】もし全部ぶちまけたら
今まで苦しんできたことを毒父は分かるだろうか…反省、後悔するだろうか…

 

【A.】しないと思う。


毒親って自分が一番だから。
自分は悪くない、俺はやってないって
自分を守るためなら平気で嘘をつける人種だから。


実際、被害者を目の前にし
「俺はやってない」
「調べても良いよ」
加害者のくせに堂々と嘘をつけることに驚いた。


そんな人種に期待しない方が良いし、
言って謝罪、反省出来る人種なら毒親になってないって。
期待するだけ無駄無駄無駄…


また、毒親に今までされた恨みつらみを言ったところで
私はスッキリするんだろうか。


しないだろうし、毒親育ちあるあるの
言わなちゃ良かったと自分の責めて辛い気持ちになると思う。

向こうが原因なのに、私が悪者、罪悪感でいっぱいになる。


どうしようもない負のループだ。
とりあえず分かるのは


毒親には独自のルールがあり、それは絶対曲げることはない。
自分は間違ってないと堂々と言える人種。
○常識、日本語が通じない人種。
○何も毒親に期待してはいけない。
○出来るだけ毒親から離れる。
○もう毒親の言いなりにならなくても良い。呪縛から解けよう。


電話してこない理由、
元旦の電話での言い訳を考えてるからか
(自分は悪くないって逃げ切れる言い訳が思い付いたら絶対電話してくる)
過去の性的虐待を指摘されて動揺と恥ずかしさで電話出来ないのか

 

毒親から着信が来たら、番号を確認した時の嫌悪感を想像出来る。


声も聞きたくないが、どんな言い訳をするのか、
もしくは何事も無かったように「元気〜?心配でかけちゃったよぉ〜」

のほほんとした口調で言うのか。


…そんな声聞いたらしばらく体調崩すと思う。


どんなに「嫌い」と言っても通じない
「子供が親を嫌うわけないじゃないか」の思い込み、毒親あるある。


想像しただけでブチ切れ案件。


このまま電話をかけてきませんように。
元旦の電話で最後でありますように。

 

 

義母との初対面

毒父と義母はスナック(フィリピンパブかも)で出会ったらしい。

 

ある日突然「お付き合いしてる人がいる、紹介したいんだけど」とか
言われた気がする。

聞いた時は、やっと毎日毒父に警戒しなくて良くなるかもって喜びがあった。


じゃあいつ会う?って話をしたら 今、玄関の前にいると。


初めて会った印象はスーツ姿で目が大きくて小さくて痩せてる女性。
ハキハキした元気な声で笑顔だった。

暴力振るうし、子供に猥褻なことする人のどこに惹かれたんだろうと不思議だった。

最後の出会いのチャンスだったかもしれないから猫を被ってたんだろうね。

 


後から知った事だが

初対面の時、私から何も挨拶がなかったのが気に入らなかったらしい。

 

義母にも息子さんが二人いて、先に息子さんに紹介した。
その時、息子さんは「母をよろしくお願いします」と挨拶した。
私の時には「よろしくお願いします」の言葉がなかったのがお気に召さなかったと。

 

それは申し訳なかったなって思う。
言い訳させてもらうと、向こうは常識ある普通の家庭で
姉と毒父の3人暮らしのこっちは無表情で会話も無い「家族」の機能はしてなくて。
初対面の義母にも無表情で一礼しただけだったかも。

 


その後、義母がこっちに来て3人で暮ら始める。

たまに出た義母の愚痴の情報だと
私より先に姉に再婚する報告をしに、姉の住むところまで二人で行ったらしい。

 

その時姉が義母に言った言葉。
「父の財産目当てですか?」

「老後の世話は私がしますから」


姉がそんな事本当に言ったの?って正直思った。

 

家が貧乏ってことは分かっているはず。

月末には私と姉を連れ親戚に金を借りに行く程の貧困だった。財産なんかあるわけない。毎晩喧嘩して嫌っていた毒父の老後の面倒なんか見るはずない。


漫画やドラマとかで見る
再婚相手に向かって警戒心むき出しの、

素直になれない子供のセリフみたいだなぁって思った。


毒父に暴力振るわれたこと、許せないし大嫌いだろうに
なんでそんな事言ったんだろう。

 

それは今でも謎。

 

 

毒、鍵をかけたことにキレる

昨日はバレンタインだった。
毎年、毒父のために買っていたのも今年は止め、気持ちが軽くなった。

 

自分用のチョコレートは5つ先の駅で
先輩の誕生日用に買ったついで、ブラウニーの一つだけ。
キラキラしたチョコレートの粒、箱や紙袋のデザインを見るのが
好きだったが今年はVD催事場巡りも止めた。

 

去年、コロナの影響で夏冬ボーナス無かったし
お金を大事にしないとなって思って。

 


毒父から昔からずっと「お金は貯めておけ」と言われ続けてた。

 

毒親の特徴として「自分(家庭)は貧乏だ。お金がない」と子供に言い

自分の家はお金がないと子供にインプットさせる」
「働くようになると金の無心をする」
「子供にお金をかけず、自分には金を使う」

 

実際は色んなパターンがあるだろうし、これが一概には言えないけど。

 

家の場合も、「ウチは貧乏だから」と言われてた。
食事は毎晩醤油で味付けの醤油色のもやし、

服も2着を一年中日替わりで着回し、
冷暖房をつけないから貧乏なんだな、大きくなったら親を助けなきゃとか

早く働くようにならないと、と思ってた。

普通の家庭でも同じ考えだと思ってた。

 

小遣いをあげないとか、小遣い没収は無かったが、
久しぶりに会う親戚から貰えるお小遣い(1000円札一枚とか)は
親経由だと「今回は貰えなかったよ」と親の懐に入ってたと思う。
それも普通の家庭でよくあることだと思う。


「子供に金をかけず、自分には金を使う」
姉には洋服代を出したり、成人式の着物を買うのを見てたから
私は新しい服が欲しくても言えなかったし我慢した。
貧乏だって分かっていたから。

 

高校は定時制に進学、昼間はバイト。授業料も自分で払い
もう私の小遣いとお年玉はいらないと言った。


私が高2か高3の頃、毒父はカラオケスナックにハマってた。

ストレス発散する趣味が持てたなら良かったと思ってた。

月に2回、週末だけと決めてたようだが、
そのうち週3 平日にも行くようになり、23時帰宅が0時を過ぎ
明け方ベロンベロンの状態で帰宅、そのまま昼まで寝る生活に変わった。

 

姉と私の手が掛からなくなり、自分の好きなことをしてるならと何も言わなかった。

 

すると、明け方帰宅が当たり前になり
カラオケスナックだと思ってたら、実はフィリピンパブで
飲まされて金を使わされて、泥酔で帰宅途中に転び顔面から地面に打ち

上唇を何針か縫う怪我をしたと保護した警察から連絡がきた。

あの時は毒親が全てだったから死ぬんじゃないかって泣いて心配したが
今思うとくだらない。商売と割り切ってるフィリピン人に気づかず
もてはやされ好き勝手やってきた結果、自業自得だ。


ある時、帰宅が明け方だと思い、一人なので家の鍵をかけた。
予想通り明け方に帰宅、鍵が掛かっていたことに毒父は腹を立てた。

連絡なく明け方帰宅だったからだと言っても
鍵をかけられたのが気に入らなくて
とにかく早く開けろとドアのチェーン越しに怒り続けてた。


酔っぱらいの発言ではなく、昔から鍵をかけない家だった。

 

小さい頃も、平日も家に一人でいた時は鍵を持たせてくれず
家から出ることが出来なかった。

外で遊ぶ場合、鍵が空いたまま家の前で一人でボール遊び。

その時は普通の家は鍵をかけないんだと思ってた。


小学生になり、昼間家に誰も居ない状態でも鍵はかけなかった。
私と姉に持たせるスペアキーを作るお金もなかったのかもしれない。


当然、泥棒に入られて
それからやっと鍵を持たせるようになった記憶。